院長こらむ:朝青龍の引退に思うこと

横綱・朝青龍が突然引退しました、というより、引退させられました。今までも、土俵外での素行の悪さや、土俵上でのパフォーマンスで批判されていましたが、今回は、酒の上とはいえ、一般人に暴力をふるったのが、直接の引き金になりました。ただ、週刊誌によると、被害者も普通の人というより、いわくありげの人のようです。いずれにしても、”横綱の品格”を傷つけたのが、理由として盛んに言われています。朝青龍は、アスリートとしての才能は、皆が認めるところでしょう。また、相撲の勝ちっぷりも魅力的でした。小生の中学時代の部活動は、相撲部に所属(出身母校の八代四中は、今、九州の強豪校になっています)していましたので、少しは見る目があるつもりです。ところで、”横綱の品格”と容易くいいますが、どういうものでしょうか。
 「品格」を国語辞典(三省堂・金田一京助編)で引きますと、次のように載っていました。{節操の堅さ、見識の高さや態度のりっぱさ、姿の美しさなどから、総合的に判断される、優れた人間性}。また、品格の使用例文として、{「品格、力量が抜群」であってこそ横綱なのだと、私はあえて断言して憚らない。}とありました。このように、昔から、横綱と品格は、切っては離せない関係だったことが伺えます。裏を返せば、これまでにも品格のない横綱がいたからかもしれません。小生の確かでない知識では、もともと相撲の最高位は、大関で、横綱は、めったにない特別な位だったと思います。相撲は、普通のスポーツと違って、いまだに神事が絡んでおり、また、国技として、国が保護している競技です。これに、外国人力士を入れると、今回みたいな騒動が起こるのは当然です。数年で横綱まで行ける反面、神事としての相撲の教育、ひいては人間教育が出来るはずがありません。日本人でも難しいのですから。品格を備えるのに、時間が短すぎます。逆に、横綱を早く作りすぎるのではないでしょうか。たとえば、年齢制限を設けたり、口頭試問や、筆記試験を加えたりしたらどうでしょうか。私の個人的な感想は、朝青龍は被害者です。もちろん、本人の素質も多いに関係していますが、これまでの親方(朝潮の大ちゃんが一番いけない)相撲協会とともに、横綱に推挙した横綱審議会も責任があると思います。他人事のように意見を述べているのに非常に腹が立ちます。
 何年か前、”女性の品格””国家の品格”という本が出版され話題になりました。残念ながら、読んでおりません。著者らのテレビインタビューは、何度か拝聴しました。”品格”とは、付け焼き刃的に備わるわけでもなく、その人の持って生まれた素質に加えて、日頃の弛まぬ努力によって備わってくるものでしょうか。なかなか難しい課題です。品格は、周りが評価するもので、自分で判断するものではありません。”育ちのよさ””気品がある”などの褒め言葉を聞きますが、これも曖昧模糊です。やはり、原点は、教育だと思います。私たちの責任も重大ですが、今の日本の教育は大丈夫でしょうか。知識教育だけに偏った付けが今現れている気もします。
 先日、奈良県の病院長(理事長)が、執刀経験もないのに、金儲けのため、必要のない肝臓手術を生活保護者に行い、その結果、出血死させ逮捕されました。同業者として、情けない限りです。品格のかけらもありません。
当院理事長室ドア横の下駄箱の上に置いてある、日本医師会・医の倫理綱領を提示させていただきます。

 医学および医療は、病める人の治療はもとより、人びとの健康の維持もしくは増進を図るもので、医師は責任の重大性を認識し、人類愛を基にすべての人に奉仕するものである。
 1:医師は生涯学習の精神を保ち、つねに医学の知識と技術の習得に努めるとともに、その進歩・発展に尽くす。
 2:医師はこの職業の尊厳と責任を自覚し、教養を深め、人格を高めるように心掛ける。
 3:医師は、医療を受ける人びとの人格を尊重し、やさしい心で接するとともに、医療内容についてはよく説明し、信頼を得るように努める。
 4:医師は互いに尊敬し、医療関係者と協力して医療に尽くす。
 5:医師は医療の公共性を重んじ、医療を通じて社会の発展に尽くすとともに、法規範の遵守および法秩序の形成に努める。
 6:医師は医業にあたって営利を目的としない。

 人間は弱いもので、すぐに安易な方に走りがちです。上の倫理綱領を励行することは、なかなか難しいですが、還暦を迎える今でも努力はしているつもりです。これも、”医師の品格”につながり、そういう医師になりたいものです。

長野県・志賀高原の雪景色です。